スタァライト楽曲で繰り返し形を変えて表現される「舞台少女」が好き

「舞台少女」という呼び名に込められた可能性が好きです。
役者でも舞台女優でもなく舞台”少女”。
未完成だからこそ、これから何にでもなれる可能性の塊を感じる名称。
この言葉がいくつもの楽曲で形を変えて繰り返し歌われているところが、私のスタァライト好きポイントの一つです。

一つの名詞を色々な方向から言い換えるのってオシャレでかっこいいですよね。
中村彼方さんの感性と語彙力ほんと尊敬してます。

再生讃美曲のリリックビデオをまた見ていたらそんな「舞台少女」に痺れて、改めて今までの九九組楽曲の歌詞を見返しました。
歌詞全体の流れも踏まえて考えると微妙に意味合いが違うとは思いますが、私が「舞台少女」だと感じて好きな部分たちについて少しだけ。

『舞台少女心得』
“未完成な舞台少女”
ストレートに歌っているのがこれ。
ここからどんどん派生していくのです。

『Star Divine』
生まれたての光
『星のダイアローグ』
今はなんでもない私
この辺もわりとストレートに「舞台少女」を感じます。
「未完成な舞台少女」の正統派生。

ちょっと変化球としては、
『願いは光になって』
未来はまだ真っ白なままのシナリオだね
『ディスカバリー!』
物語追いかける足跡がほら道になる
『Star Parade』
私たちはまだ旅の途中
この辺り。
まだ見ぬ未来や歩みを感じさせることで間接的に「舞台少女」の可能性を刷り込んでくるタイプ。
サブリミナル舞台少女、とでも言うのでしょうか。
この手法は上記の3曲以外にもたくさんありますよね。
スタァライト楽曲には未来へ向かって前向きに突き進む曲が豊富なので。

色々な形がある「舞台少女」シリーズで私が特に好きなのが、この二つです。
『Star Diamond』
砂に混じり鈍く光る一粒
『再生讃美曲』
“私たちは何者でもない夜明け前のほんのひととき
この二つは「舞台少女」を他の物に例える比喩型。
これがほんとにオシャレでね、大好きなんです。

Star Diamondはこの鈍く光る一粒が、ぶつかって傷つけてすり減って削られて、歪に光を跳ね返して輝いていく歌詞の流れが堪らない。
歪にってところも良いですよね。
鏡のように滑らかに整えられたものではなく、歪に光を反射するというのが「未完成な舞台少女」って感じがして。

再生讃美曲は”何者でもない”という正統派生型のストレートな表現と、”夜明け前のほんのひととき”というかっこよすぎる比喩表現の2段重ね。
こんなの反則じゃないですか?
一つ目の衝撃の直後に、さらに強力な一撃を食らわせてくるこの歌詞。
これぞ歌詞界の二重の極み。

“夜明け前のほんのひととき”
この歌詞を初めて聴いた時は号泣でした。
舞台少女の未完成ゆえの可能性だけじゃなくて、今しか無い刹那的な輝きを感じるんですよ。
この曲が、一度しかない舞台の眩しさに囚われて繰り返されていた再演に捧げる讃美歌で、「だから眩しい」なんて歌うんですから、とんでもない破壊力です。
夜明け前なのは、これから目覚めていくからなのかな。
語彙力が貧弱過ぎて上手く言えないのがもどかしい限りですが、ほんと良いですよね、”夜明け前のほんのひととき”って表現。
静かで優しくて美しさを感じる表現。
その一瞬にしか感じられない舞台少女のキラめきが凝縮されたフレーズだと思います。

直接的な歌詞ではないけれど、舞台#2のレヴュータイトル『群青』も良いですね。
青=未熟さ
を意味しているんだと気付いた時のあの感動。
『群青』が『虹色』になる流れがほんと好き。
青色一色の未熟な舞台少女たちが、それぞれの色に輝いて虹色になるんですよ。
まさに”未完成な舞台少女”!

あーーーやっぱり良いなぁ、スタァライトは。
早く映画が観たいし、再生讃美曲をフルで聴きたいし、舞台やライブであのキラめきを生で浴びたい。
こんなに楽しみな気持ちを溜め込んでいて、その時になったらどうなってしまうのやら。
どれも開始1秒で感情がキャパオーバーして泣いちゃいそう。

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